周りからは、子どもの工房(アトリエ)をしているので、
芸術系の大学で習う知識、技術は、
もちろんある、と思われている。
それが、全くである。
「またまた、ご謙遜を〜」と、言われるけれど、
夜間の大学で、
図工が好きだったので、図工を選択して、
教材研究や油絵制作を、
ウキウキやっていただけ。
工作は、大学では全くやらなかったし、
石膏デッサンは、一枚をシャカシャカ描いたのみ。
デッサンをやったことがあるなんて、
おこがましくて言えないレベル。
卒業制作は、自由に描いていい油絵制作。
というわけで、ワタシの専門は、一応、図画が主の図工。
同じように、図工を選択した人でも、
興味がある人は、美術全般の知識を、意欲的に得ていただろうけど、
ワタシは、得なかった。
知りたい欲はあるのだが、
本を開けば、カタカナで書かれている固有名詞が、頭に全くもって入ってこないのだ。
これは、致命的だった。
暗記が得意なくせに、
カタカナ名詞が大量にあると、お手上げ。
中学、高校の美術の点は、
実技で稼ぎ、
ペーパーテストは、
目も当てられないレベル。
カタカナ名詞が苦手なので、
もちろん、世界史なんて、とんでもなかった。
これまた、
大学行ったはったのに、ご謙遜を〜
と、言われること多々。
家族だけが知っている、
ワタシの知識は、
ひどいもんで、
ほんとに、運だけで、生きてきた人。
何で、工房やってるの?
工作が好きだったから?
と、よく子どもたちに言われる。
そうやな〜
工作が好きやからかな。と答えてはいるが、
当初は、違っていた。
お絵かきのみの工房のスタートだった。
それが、
工房では、子どもたちからは、お絵かきより工作を求められ、
次第に、工作をすることが増えたのだ。
信じられないかもしれないが、
ワタシ自身、図工の先生と言えど、
工作は、苦手意識が強かった。
何せ、親に、手先の不器用な子として育てられているため、
結婚して、オットから、
器用やな〜と、言われるまで、
全くもって、「器用」なんて言葉、ミリも言われたことのなかったのだ。
今思えば、6年生の夏休みの自由研究で、
一人でコツコツ本を見ながら作ったワニの動くおもちゃが、
自主的に作った最後の工作だったように思う。
評価されたのは、そのワニではなく、
作った過程を書いた作文だった。
全校生徒の前で、読んだ記憶がある。
しかし、結局、工作は、
親に何も評価されなかったため、
あっさり捨てたのだった。
工作とは縁のない不器用なワタシが、
今や、工作が主の工房をしている。
一番不思議に思っているのは、
自分である。
まじで不器用なワタシに、工作ができるだろうか、からだったのが、
お、意外にもできるやん、と思い始め、
子どもたちの工作のお手伝いをたくさん積み重ねてきた。
ワタシも、子どもたちとともに、成長してきたというわけである。
リアルにのこぎりの使い方さえ、知らなかったのに。である。
継続は、ほんと、力なりである。
やっていく中で、もともと、自分の手で作り上げることが好きだったことに、
気づき、
器用ではないけど、不器用ではなかったことにも、気づくのである。
芸術系の大学出てないから、とか、
デッサンもろくにやってないから、とか、
大学出たのに、美術の知識がない、とか、
ワタシの中では、
かなりのマイナスポイントだったが、
この前出会った陶芸家の方と話をして、
マイナスがプラスになる、できる、ことを思い出す。
これって、ほんと、
わかっちゃいるけど、心底、自分にわからせるためには、
意識しないと、
また、ズブズブと底なし沼に落っこちちゃう。
自己肯定感の低い者が、唯一、頑張らないといけないことといったら、
ここなのだ。
意識する。
思い込み呪縛からの解放。
自分は自分で作るのだ。
よし、
今日も、作りますか!
コメント
工房卒業生の保護者です
こどもの成長の節目ごとに、ここで学んだ事が親子共に貴重な財産であることを感じる毎日。社会に出る前に悩み続けている娘に是非伝えます!
コメント、ありがとうございます。
工房が、何らかの影響を与えられているとしたら、こんなに嬉しいことはありません。
今までの歩みが、全て自分の力になっています。
これからの一歩、応援しています!