そういえば、我が家の歴史に音楽は身近にあったんだ

我が家に、音楽がほしいな〜、と、思ったのは、30年ほど前。

オットの実家の近く店に、電子キーボードが置いてあると知り、見に行った。

いろんな音が鳴るキーボードを前に、

「いいな〜」「欲しいな〜」と、思ったが、値段が高い。

ため息をつきつつ、また、お金貯めて買おう!、と店を出た。

が、そのお店の人が、何を勘違いしたのか、勝手に注文して、

数週間後に、「ご注文していただいたものが、入荷しました」と、実家の母に連絡が入るという、

とんでもない事が起きた。

「なんの注文もしてないのに、どういうこと?」と、はてないっぱいだったが、

母の知っている店ということもあり、

断ることもできず、

なけなしの貯金を下ろし、購入。

4万近くするそのキーボード。

我が家初の楽器が、それも、ひょんなことからやってきた。

当時の唯一の贅沢品だったかもしれない。

もちろん、長女と次女は大喜びで、

曲は弾けないけれど、いろんな音を楽しんでいた。

長女4歳、次女3歳だったかな。

ムスメたちの喜ぶ姿を見て、ふところの痛さはなくなっていった。

が、ワタシも、本格的に、曲が弾けるわけでもないので、

音が鳴るおもちゃでしかなく、だんだんと、部屋のインテリアと化し、

たま〜に、ワタシか長女、次女が、適当に弾いて楽しむ程度になってしまう。

でもまぁ、それがあることで、

その頃から、ムスメたちにとって、音楽は身近なものだった、と思う。

通っていた保育園の次女のクラスに、

合唱団の指導をしているお母さんがいたので、

歌も好きな二人は、合唱団に入団。

いろんな場所で歌ったものだ。

保護者も子どもたちの後ろで歌うこともあり、

ワタシも、何度かステージにあがらせてもらった。

ホールに響く歌声に、何度、鳥肌が立つほど感動しただろう。

当時、長女のカラダのことで、幾度となく、

困難なことにぶつかりつつ、涙する日も多かった。

けれど、元気に歌うムスメたちの姿に、何度救われたか。

歌の力、もらっていたんだな〜

 

やがて、合唱団の指導者の知り合いの方に、

長女と次女は、ピアノを習うことになる。

オットの妹が使っていたピアノを譲り受け、

立派なアップライトピアノが家にあった。

どれくらい、彼女たちは習ったかな。

当時、ワタシは、小学校で勤務をし始めた頃で、

超絶に忙しく、教えてくれていたピアノの先生に、

子どもしかいない家に入ってもらい、

教えてもらうという、全てお任せのピアノレッスンだった。

子どもたちの練習曲も、聞いてやれず、

子どもたちのみぞ知る、ピアノ。

やがて、ワタシも、練習を見てやることもなくなり、

そうなると、子どもたちの気持ちも、続かなくなってしまった。

悪いことをしたな、と、今でも思う。

誰も弾かなくなったピアノは、買い取りをしてもらい、

電子キーボードも壊れ、

我が家からは、音楽を奏でる楽器はなくなってしまった。

 

三女は、スポーツが好きだったので、

一人、ちょっと違ったが、

四女は、小学生の頃に、ピアノがやりたい!と、高学年で言い始め、習い始めた。

そのため、今度は、音の調整ができ、夜でも練習ができる、電子ピアノを購入。

再び、我が家に音楽がやってきた。

 

長女も次女も四女も、中学生で吹奏楽部、

次女は、高校でも吹奏楽部、四女は、軽音楽部だった。

なんやかやと言いつつも、

子どもたちのそばには、常に、音楽があった。

 

 

 

ワタシのお気楽ウクレレに影響を受けたのか、

次女が、ピアノが弾きたい、と言い出していた。

四女のために買った電子ピアノは、

今は、長女の家に運んだので、ここにはない。

手軽に弾きたいようで、

何やら、いろいろ調べていた。

 

そして、ワタシにホンモノウクレレが届いた日に、

次女が、これまた自分で購入した初めての楽器のピアノが届いた。

こういうピアノがあるとは知っていたが、

実物を見る日がくるとは。

 

これを持って、

再びフランスに行きたいらしい。

これなら、どこでも、弾けそうである。

いつ、行ける日がくるかな。

行きたいね〜

ワタシも。

 

 

 

 

 

 

 

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