One and only

我が教室の終了に近づくにつれ、

なんとも言えない気持ちが湧き上がってきている。

もう少し、やれたんじゃないか、とか、

やれるところまで、やったらよかったのでは、とか。

そういう気持ちが出てきては、

いろいろあって、思ったパフォーマンスもできなくなってるじゃないか、とか。

動けるうちに、まだやりたいことをやるんでしょ、とか。

自分で、湧き上がる気持ちを、抑えにかかる気持ちがのしかかる。

なんとも、複雑で。

 

そうこうしているうちに、

ある元保護者の方から、連絡をいただき、

私がやってきたことは、全国どこを探してもないので、

ぜひ、公文式のようなシステムを作って、あちこちに『こども工房』を作りませんか。

と、言っていただいた。

図工の先生や、造形教室の講師をされているその方の申し出は、

私にとっては、驚きでしかなかった。

その時、ふと思い出す。

こども工房を立ち上げて、しばらくすると、京都市内のあちこちの行政区から通ってきていただき、

滋賀県や大阪の方もいたっけ。

人気が出たのを見たオットは、秩加式なるものを作って、まとめて、本でも出してみないか、と言ってきたことががある。

頭のいい人は、そう考えるのかな。

私には、ミリもそんな考えが浮かばない。

ただひたすらに、子どもたちと絵を描いたり、作ったり、笑いころげる時間が、楽しくて楽しくて。

 

確かに、こんな教室はないのかもしれない。

どの絵画造形教室も、年間計画があり、テーマに沿って、きっちりていねいに指導されている。

東京に見学に行かせていただいた教室もそうだった。

有名な絵画教室をされている先生からも、我が工房のやり方を批判されたこともある。

でも…

その日、その時、子どもたちの気持ち、体調、モチベーションなど、全く違うし、それぞれ、やりたいことも違う。

やりたくないことを、無理強いするのも、なんか、違うし。

と、思うと、こちらでは素材を用意し、子どもたちは、そこでやりたいことを、とことんやってみる教室であり続けることにした。

失敗したっていいし、適当にやってりゃ、何か思いつく。

ワタシは基本なんでも、受け入れた。それには、本当のところ、かなり体力がいったのである。こっちで、粘土でミニチュア作り、あっちで木を電鋸やノコギリで切る、釘を打つ。そっちで絵を描く。油絵も描く。裁縫をする。小説まで書き始める。しかも、子どもたちは、口々に言う。「これ、手伝って」「これどうすんの?」。それぞれ持つ道具が違うし、目指す作品が違う。それを一つ一つ対応するのに、何度も、体が一つじゃ足らんよ〜と思ったもの。でも、それぞれの思いを叶えさせてあげたい。出来上がったものを見て、笑ってほしい。その思いだけが、私を突き動かした。汗かきのワタシは、冬でも汗を流していた。

そんな、ちょっと融通のきく、言い方を変えれば、子どもたちに寄り添うスタイルが、子どもたちにウケたのだろう。

次女が言う。「こども工房は、唯一無二」だと。嬉しいね〜

 

手先を動かし、作りたいものを想像し組み立てていく過程で培われるものは、

人間にとって、大事なものがてんこ盛りである。

遊びで培われるものが、重要だということは、よく言われているが、

まさに、それも含まれている。

理論的に語ることが苦手なので、

そのあたりは、もう少し、語れるようになりたいが、

そこは、置いておこう。

 

しかし、しかしだ。

老いというものは、突然やってくる。

ワタシは、無敵だと思っていた。不死身だとも思っていた。

そんなこと、あるわけないのである。

初めて、膝が痛くなって、慌てて病院に行けば、

歳ですからね、と言われ、ショックを受けた。

そうだった。ワタシは、歳をとっていっていたのだ。

全力対応ができなくなっていくのが、

目に見えてわかった。

心の臓も、やばい。

小学2年生の子に、

「先生、急に、しゃべるのがゆっくりになる」と言われた。

そうなのだ。全力が続かない、動かない証拠だった。

 

保護者の方の申し出により、

我が工房のことを、あれこれと考える機会になり、

終了にあたって、

この間、ちっこい脳みそを、フル回転している。

 

全国に例がない教室だと、

言っていただいて、気づく、この工房の存在。

やっていることを、ほめられたことも、そりゃあったけど、

ほんまかなぁ、なんて思いつつ、

自分がやりたいようにやってるだけやし、って、思ってきた。

特別たいしたこともないし、当たり前のように思ってやってきたのだが、

周りから見たら、どうも、当たり前でなかったようで。

自分だけの当たり前…

なんだろう。

当たり前が当たり前でないことに、気づく。

そう、今。まさに、Now…

 

こういう教室がやりたいかも、と入ってくれた若者は、

当初から何人かいたけど、

みんな去っていった。

ワタシのやり方がまずいのだ。

後継者は育てられない。

なにしろ、子どもたちしか見ていない。

 

 

とにもかくにも、こども工房の看板は残しつつ、

ガタのきた体で、何ができるのか、

考えてみることにしたってわけです。

全国展開レベルの教室を作っていくのは、ワタシには、どう考えたってできないので、

後に続く人たちのために、

参考になるものだったら、できるかもしれない。

かもです。

 

 

 

 

 

大きい絵も気持ちよく描いてたね〜(2009)

 

 

かぶとむし     孫1号(3歳)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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