楽しいことしたい。
夫婦で、よく言っていた言葉だ。
それが、
元祖の工房を生み出し、
地域の祭りを生み出し、
京都、いや、日本だけにとどまらず、
アメリカまで、
工房の子どもたちを連れて行った。
これは、ざっくり、楽しいこと。
細かく言えば、思い出せないほどある。
伊根で漁師体験、
あちこちでの合宿に、
美術館めぐりに、
京都フィールドワーク、
とかとか、
楽しい企画を、
工房の子どもたちと考え、実行してきた。
当時は、デジタルカメラではなかったので、
現像した写真のみが残る、
貴重なデータだ。
私たちの生活には、
わが工房は、
重要なポジションにあった。
赤ちゃんだった四女を連れて、
どこまでも行った。
やがて、オットは、
中心的存在から、身を引き、
生活を支える仕事に、集中していった。
引き継いだワタシは、
とにかくとにかく、
描く、作るを、子どもたちと楽しんだ。
家でも、工房でも。
ムスメたちが自立してから、
子どもたちと楽しむのは、
工房のみ。
それが、ずっと続いたわけで。
小学校の講師もしていた頃には、
工房史上、MAX稼働だった。
朝から、学校の子どもたちと触れ合い、
夕方から、工房の子どもたち。
2クラスあったから、21時まで工房。
月曜日から金曜日まで、フルで入れていて、
家に帰るのは、毎日22時頃だった。
土曜日は、朝から3クラス。
日曜日は、朝から2クラス。
休みが、なかったなぁ。
というか、子育ても終わったし、
休みはいらん、と思って。
けど、次第に、自分の体調に鈍感なワタシも、
気づく、体調の変化。
こりゃ、あかん、となって、
徐々に、子どもたちにクラス移動をしてもらい、
クラスを減らして、
休みを作った。
これ、商店街で店舗を借りた時だねぇ。
そんなこんなを、
ちょこちょこ、
写真整理で、やっぱり思い出す。
楽しいことしたい。
しばらく、私たち夫婦の間で、
いつから、出なくなったんだろう。
それぐらい、
毎日、充実していたということか。
それぐらい、
現状を、楽しんでいたということか。
そして、
今、蘇る。
楽しいことしたい。
これが、セカンドライフプラン、
ちゅうやつになるんかな。
思い出しが続いている…
私たちの楽しいことしたい、は、
いつも子ども中心だったなぁ。
遊んで
とことん遊んで
泳いで
食べて
描いて
作って
お祭り(そらたね祭の前身)まで作って
演奏して
学んで
飛ばして
それは、もう、めちゃくちゃで、
はちゃめちゃで、
スーパー超絶パワフルな日々、だった。
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