こんなに集中して、
作品作りを楽しんだことがあっただろうか、
と思うぐらい、
一人コツコツと、何かしら表現している毎日。
全て自分の時間という、不思議な状態に、
少しずつ慣れてきてはいる。
ここに来た時に、
体験施設の窓口の方に、
連絡先として、渡した名刺には、
イラストレーターという肩書き入れている。
その肩書きが、
窓口の人にどのように映ったのかわからないが、
ここには、何も言わないけれど、すごい人がいる、
と言っておられた。
名刺を渡したことで、
ひょっとしたら、
自分はイラストレーターだと、
アピールした人、となったような。
肩書き、ねぇ。
たいした仕事もしていないのに、名乗っており。
ちょこっとイラスト描いて、
ちょこっと収入いただくだけで。
それも、オットの力なしでは、
得られないことが多く。
オットのプロデュース力は、
心底、尊敬している。
自分をいかして、他人をいかし、
他人をいかすことで、自分をいかすタイプ。
自分のことを考えながら、
人のことを考えている。
そのことで、人のことばかり考えていると、
悩むこともありつつ、
やっぱり、人のことを考えている。
そういう人だ。
こども工房を作ろう、と言ったののも、
オットだった。
そこで、ワタシはいかされた。
空海の誕生日に生まれたと、
言われ続けて生きてきたオットには、
そういう持って生まれた能力があるように思う。
プラハで絵を展示した時、
ワタシは、絵描きとして立っていた。
これも、オットのプロデュース。
そして、今、
ここでやれているのも、
オットの後押しのおかげである。
これから、
オットに頼らず、
セルフプロデュースしないと、
なのだが…
これが、なんとも…。
ワタシの場合、
オットと違うのが、
上記の「人」というところに、
「子ども」というワードを入れると、
しっくりくる。
こども工房から離れて、1ヶ月半。
やはり、「子ども」は、
ワタシの中で、
重要なポジションを占めていることに気づく。
「子ども」。
ワタシの表現のどれをとっても、
核は、これ。
やってきたことを考えても、
コンセプトを考えても、
これからやろうとしていることを考えても、
やっぱり、
子ども、というワードが、出てくる。
子どもたちを楽しませたい。
大人の中の子どもを喜ばせたい。
そのために、
自分の中の子どもを、
引っ張り出す作業を、
しているのに気づく。
そこから先が、問題なのだが、
とにもかくにも、
モノがないと話にならないと、
オットに言われている。
その通りだ。
がんばろっと。
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