鋼の手首

まさかの大ケガから、怒涛の1週間を終えた。

一人入院、手術、退院というのは、

かなり気が張るものである。

が、病院といえば、長女の闘病があったので、

妙に落ち着く場所という、夫婦揃って同じ感覚がある。

しかし、看病する立場ではなく、当事者というのは、

なんとも居心地の悪いもので。

入院という入院は、25年前のお産以来で、

ケガでというのは、交通事故にあった幼稚園以来。

 

朝、入院にいるものを準備して、

リュックと、車輪のついたバッグともう一つの袋にまとめた。

それを持って、午後からの入院のため、出発したのだが、

使えるのが片手だけであるということが、

いかに不便かということを思い知る。

10メートル歩いたところで、

引き返した。

たとえ、徒歩5分のところにある病院といえども、

無理だと判断し、

家にある台車に乗っけて、向かう。

楽勝。

手続きを済ませ、病棟に上がる。

今日は、退院の人が多いから、ベッドの準備がまだなので、待つよう言われる。

30分すぎたぐらいで、やっと病室に案内されたのは、

海の見える窓側のベッド。

これが、ホテルならいいのに。

そう思いつつ、看護士さんや、麻酔科の先生が、つぎつぎにやってくる。

説明、書類、次々に増えるので、頭がついていかない。

けど、そうも言ってられず、何度もチェック。

手術の前日から点滴をしない代わりに、

水を1リットルと渡されるドリンクを飲むよう指示される。

とりあえず予備も入れて、500mlを3本用意しておいて、と言われ、

売店に行く。

3本と言われたら、4本買うのがワタシ流。

主治医の手術の説明は、このあと、初めてあった。

何を最も恐れていたかというと、

全身麻酔で人工呼吸器をつけるために気管挿管された時に、

差し歯の前歯が折れるかもしれないということ。

頼むから、丁寧に入れて欲しいと願った。

麻酔科の先生にも、

「前歯が差し歯なので、折れないようよろしくお願いします」と、

念押ししておいた。

 

準備は完璧。

出された夕食も完食。

手術に備えた。

 

翌日の術日。

昼からだったが、前の手術が長引いているということで、

1時間ずれた。

その長引いた手術を終えたおばあさんが、

隣のベッドにもどってきた。

痛い痛いと、唸っている声に、

次は、自分の番だと思うと、恐怖しかなかった。

歩いて手術室に向かい、

ここに寝てくださいと、手術室の真ん中にある細いベッドに促された。

怖すぎる。

歩いて自分で手術台に乗る、という、貴重な体験。

こうなったら、まな板の鯉状態。

マスクの上に酸素マスクを乗っけられると、

ベリベリと、手術着を剥がされ、

心電図や点滴を次々につけられた。

ドラマでよく見るライトがいっぱいついている丸いものも見えた。

点滴から麻酔が入れられ、、、、、、

 

「清水さん」

声をかけられ、目を覚ましたのは、エレベーターの中だった。

「終わりましたよ。ここに、ちゃんとつきましたからね(たぶんこういうふうな言葉だった)」

と、タブレットの写真を、エレベーター内で見せられた。

麻酔からまだすっかり冷めていない頭には、

ワタシの骸骨手首に、金具が取り付けられているのが映った写真は、

ファンシーにぼかしエフェクトがかけられているように見えていた。

無事終わった。

そのことだけで、十分だった。

そして、開口一番、「お腹すいた〜」とつぶやいた。

 

手術をした人の家族は、そのあと呼ばれて、手術の結果説明がある。

けど、私は、一人だったので、

どうやら、あのエレベーター内でタブレット写真を見せるだけが、結果説明だったようで、

そのあと、何もなかった。

看護士さんから、鉄板をネジ9個でとめた、と聞いた。

手には鈍痛としびれが続いたが、

痛み止めでしのいだ。

家族たちに、無事終了の連絡をし、

妹にも連絡をしたら、間違えて、

手術直前に見ていてスクショしていた焼酎の写真を送ってしまった。

それが、これ。

いや、なんとも。

このライブ配信、退院したら見たいなぁ、と、、、、、、。

退院したら、飲みたいなぁ、と、、、、、。

ただの呑べえ〜。

 

麻酔の関係で、1日絶食だったが、

私が、腹減った〜、と何度も言うもんだから、

担当看護士さんが、「じゃぁ、5割ね」と、夕食5割を頼んでくれた。

学校給食大好きなワタシは、病院食も大好きである。

薄味なので、まずいなぁ、なんて、えらそうに言いながらも、

おいしいおいしいと完食していた。

 

食べることは生きること。

生きることは食べること。

先日、夫を亡くしたおばさんが言っていた。

ありがたいことに、食べられている。

本当に嬉しかっった。

 

翌日、暴風で雨が降っている中、

退院。

台車を押して帰るつもりが、

雨で傘もさせず、

渋々タクシーで帰った。

 

これからは、リハビリのみ。

左半身の打撲痛も、

なんとかマシになった。

顔面は、酷いので、

普段は全くもって化粧はしないのだが、

こういう時こそ必要かも、と思い、

あざ消しを、あれこれ調べてみたりしている。

 

オットは、

どうやら、今回のことで、

行動を考えていかなければ、と思い始めたようだ。

若い時と同じように、

あちこち動いているが、

私たちは、確実に歳を取ってきている。

今までのように、動いては、

今回のようなことが、また起きないとも限らない。

しかも、ワタシは、どうやら、どんくさい。

そう、じぶんでもやっと、認め始めた。

今まで、運動神経も人並み以上あって、

やってやれぬことはないと、

なんでも挑戦するタイプできた。

小さい頃から、両親には、どんくさいと言われていたけれど、

そんなことはない、と全くもって認めなかった。

自転車で電柱や店に突っ込もうが、

テニスで自分の打ったボールが目を直撃し、救急車で運ばれようが、

病院内で何度も転けて、足が動かなくなろうが、

自分、いけてる人、

運動神経ある人、と、なーんか不思議と自信たっぷりに思ってきたのだ。

 

今回のことで、やっと、

いけてないかも、と、思った。

ゆっくり改めて、思い起こせば、

いろいろいっぱいやらかしてきている。

運動神経、ない人やったんかぁ、と、今、知る。

歳も取ってきているので、

もっと、慎重に動くべしである。

 

改めて自分を知ることが多すぎる、淡路暮らし。

鋼の手首を手に入れ、

できることが、

やりたいことが、

少し変わるかもしれない。

 

さて、がんばろっと。

 

コメント

  1. K より:

    手術が無事終わり退院出来て、本当に良かったです。
    大けがのブログ拝見した時は、ビックリしました。
    暖かくなってきたし、またそろそろ訪問しようかと思っていた矢先でした。
    命に別状なかった事が、不幸中の幸いでしょうか。
    それでもきっと、痛みは酷かったでしょうし日常生活も不便でしょうね。
    今後のリハビリも無理せずやっていってください。

    で、思ったんですけどね。
    きっと貴女は、“どんくさい”わけではないと思うのです。
    スポーツだって出来るし、創作もこなしている。

    思うに、“無鉄砲”なのではないかと。

    これはちょっと失礼な意見かもしれませんが、多分、一般的にはブレーキがかかる所へも突撃してしまうのではないかと。
    いい意味で、子どもの部分をずっと持ち続けていられる貴女だからこその“無鉄砲”。
    そんな気がします。
    それは、貴女の最大の魅力でもあるのでしょうが、今回のような怪我につながってしまうとなると・・・
    怪我をしない程度に、貴女らしさがずっと輝いていればいいなと思う、古き友人です。

    まん防も解除されたので、また突撃しますよ~

    • 秩加 秩加 より:

      ご心配をおかけしました〜
      この程度で済んでよかったと、今になって、しみじみ思います。

      無鉄砲、、、、
      なるほどです。そうかもしれません。
      とにかく、面白そう、と思ったら、動いてますね。
      でも、もう、若くもないのだし、なんて言うと、
      近所のおばあちゃん世代からすると、
      何言ってるの〜、まだ若い、と言われ、
      調子に乗ってしまいます。
      危ない危ない。
      自分の身は、自分で守らないと、です。

      コメントの言葉に、いつも勇気づけられます。
      ありがとう。

      突撃、心待ちにしております!

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