昨日は、自分が発信したSNSが気になる1日だった。
京都の予約調整と、
淡路島でも、お世話になっている美容師さんと調整しつつ、
ワークショップの日程も決めた。
一つ動くと、どんどん動き始める。
子どもたちがいてこその、笑顔のタネまき活動。
またまた始まった子どもたちとの時間を前に、
100均に行くと、あれもこれもいるかな病再発。
あかんあかん。
そう気持ちを抑えつつ、
買ったのは、青い羽。売り場にあるだけ買い占める。
これは、使うので、よし。
高鳴る気持ちのまま、
海に行くと、
すぅっと、落ち着いた。
澄みきった海の色が、目から入って、全身を色づける。
穏やかな波の音が、耳から入って、全身を優しく揺らす。
ワタシがここにいる意味が、ある。
海はいつもそう返してくれる。
母が言った。
絵が暗いよ。
なんか、迷っているように見えるよ。
そうね。
そうだったかも。
母がずっと行っている美容室の壁には何もなくて、
絵があればいいな、と思ったと母。
ワタシに、絵を依頼してきた。
コロナ前にのことだった。
どんな絵がいいだろうかと、
悩みまくって、
オットと旅行した時に、初めて見て感動した淡路の海を描くことにした。
二人で淡路に住みたい、と思ったきっかけの海。
でも、京都では、なかなか描けなかった。
筆は進まず、
コロナの感染拡大を理由に、
絵が出来ても、持っていけない、と言いながら、
先延ばしにしていた。
そうこうしているうちに、
1年、2年と経ち、
母に、いつできるの? と言われつつ、
淡路に、描きかけのキャンバスを持ってきて、
移住体験の時に、これで描けるぞ!と、一気に描いた絵だった。
喜びにあふれた海の絵、だったはずなのだが、
迷いが出ていたのだろう。
自分ではわからなかったが、
母は、何も知らないのに、絵を通して、見抜いた。
恐るべしである。
口では、よし!新しいステージ!と、
ワクワクしていた風だったけど、
気持ちが、ついていってなかったのだと、思う。
自分に、当たり前のようにあったものたちを、
ほぼ自分からべりべり剥がして、捨ててきたことに、
迷い、不安、罪悪感、、、
後ろ髪引かれまくりで。
何をしていても、
関わってきた子たち、人たちのことを、
無意識に考えていた。
迷いの海の絵から始まった、
新しいステージの絵は、
青の時代に突入していった。
『青い森』に迷い込み、
やがて、渦巻くさまざまな想いは、
『祈り』の絵になった。
守られて場所で、守られた環境で、
作りたい思いだけで、
作り続けた造形物は、
ここに来て、
今、
生きとし生けるもの全ての幸せを願う思いを、
全身全霊をかけて、
造形物に込めている。
これから、描く絵は、
どんな絵になるのだろう。
これから、作るものは、
どんなものになるのだろう。
さて、今日を始めよう。
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