15日、これからの展開に、わくわくしながら車を走らせた夜明け。
洲本と京都をつなぐ大きな橋に見えた明石海峡大橋。
24日、予想しなかった展開に、なんとも言えない気持ちをかかえ、ハンドルを握った日暮れ。
橋は、行きよりも、長く長く感じた。
怒涛のような京都滞在は、
全く予想しなかった方向へと、私を向かわせた。
祇園祭最終日、
オットの両親が、二人で動けなくなった。
救急病院に運び、二人共が車椅子に乗った姿を見て、
急に、現実を見た。
なんとか、痛み止めで、少しは動けるようになった。
しかし、ともに80代の高齢で、老老介護をしながら、
仲良く暮らしてきた二人の暮らしは、
もはや、限界を越えていたといえる。
病院受診の間、
ムスメが、両親の家の片付けを少ししてくれていた。
その時見つけた、オットが数年前に提供したモバイルWiFiの本体は、大きく膨らんでいて、それをセロテープで巻いて、
本体のプラスチックが外れないようにしていた。
電池が劣化して、それこそ、限界を越えていた。
病院から戻った両親の様子を見ながら、
ネット接続には使っていないNTTのルーターに、無線WiFiの機器を接続して、ネット設定をしてみることにした。
が、何度、設定しても、ネットにつながらない。
いい線いってるんだけどな〜、と思いつつ、3日間悪戦苦闘。
途中諦めて、モバイルWiFiの機種変更をしてもらおうと思ったが、
今や、その需要もなくなり、消えゆくデバイスであることを知る。
となると、NTTのルーターを使うしかない。
結局、時間をかけ、あちこち電話をかけて、調べていくと、
そもそも、プロバイダー契約をしていなかった。
使っていないメールアドレスの契約書に、振り回された3日間だったわけで。
業者のように、ネット回線をたぐっていくワタシは、
業種変更しようかな、なんて、笑いつつ、
プロバイダー契約をし、あとは、簡単な設定までもっていけた。
なにせ、母は、LINEで、つながることを楽しみにしていたので、
何がなんでも、ネットにつなげるところまでしてあげたかった。
私が、淡路に、いつ、戻るのか、と何度も問う両親。
繋いだ手に力が入る母。
そんな中、オットからは、これからどうする、の、連日の問いかけに、
頭の中は、大混乱を起こしていた。
一旦、京都の両親は、オットやオットの妹、ムスメで見てもらい、
ガン治療をしている私の方の父の様子を見るため、大阪へ向かった。
突然の訪問に、
母が、どうした、離婚か?と、いつもの調子で、笑いながら言う。
この1週間のことを、あれこれ伝えると、
京都の両親、ムスメたち、孫たちのためにも、
京都に戻った方がいいんちゃうか、というのが、わが両親の意見だった。
みんなが、私を待っている、と言う。
そして、一人では、なかなか買えないものを買いたいと、
母の大量の買い物を手伝い、
買い物一つとっても、大変なことを実感する。
なんとか、治療をがんばっている父に励まされ、
いつも、応援してくれる母に、背中を押され、、、
一旦、一旦、淡路から京都に戻ることに、決めた。
橋を渡りながら、
なんともいえない気持ちが込み上げた。
脳みそが、混乱しっぱなしの1週間。
この大量の荷物、、、
これから、使おうと思って購入したものたち、、、、
えらいこっちゃ。
まず、とりあえず、したこと。
手首の治療のための、転院手続き。
洲本に戻ると、
さっそく、協力隊の二人から連絡が入り、
淡路市の花火が、三熊山から見れるかもしれないし、
一緒に行こう、と誘われ、行ってみた。
海岸の、向こうの方に、小さく見える、大きな花火。
まさかの小ささに、笑けた。
洲本での思い出が、増えた。
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