高齢のオットの両親の介護の手続きを、オットの妹が始めてくれているので、
これから、全てが初めてのフィールドを知ることになる。
そういう歳になったということで、
遅かれ早かれ、みんな通る道。
だからといって、自分の時間を全てを、そっちに持っていかなくてもいいよう、
体制を作っていく必要がある。
だんだんと、時間が経つにつれ、
私も、家族も、みな冷静になってきた。
オットの両親もワタシの両親も、
近くにいることで、安心だと、口を揃えて言う。
それを、聞く耳持つことで、
諦めることもあるけれど、
それより、大事にしたいものがある。
母親の代わりはいないから、早く迎えに行ってあげて。
一番に考えてあげてね。
そんな言葉を、小学校に勤めている時に、同僚の先生から言われた。
その時は、子育て真っ最中。20年も前のこと。
熱を出し、保育園から電話がかかってきた時に、
仕事の遅いワタシの机には、やるべきことが山積みされていて、
困った困った、と慌てていたワタシに、声をかけてくれたのだった。
当時、子育てと仕事の重圧で、バランスを崩して、バセドウ病を発症していた。
それでも、とにかく、そんなことも気づかず、
子育ても仕事もどれも大事、と、がむしゃらに突き進むイノシシだったワタシ。
抱えているもの全てに、優先順位なんていうのはなかった。
たまたまアレルギーの検査をした病院で、
体調の変化に気づきませんでしたか?と言われて、
そういえば、と思い当たるバセドウ病の症状が、
2年ほど続いていたことに、やっと気づく。
ほんと、イノシシ。
ポイントポイントで、そういう言葉をかけてもらっている。
とにかく、クレイジーに突き進む。
そこで、ふと、立ち止まるイノシシ。
今回も、鼻息荒く、淡路で突き進んでいた。
けど、イノシシにしがみつく母の手から、伝わってくる、すがるような想い。
立ち止まるべきだと気づくイノシシ。
選択の連続。
感染拡大。
学びを止めてはならない、という言葉は、
ワタシのフィルターを通すと、
活動を止めてはならない。
持続可能な活動として、淡路で生み出した活動。
『京都こども工房』からの、『こども工房』からの、
移動教室型こども工房『おえかきピクニック』。
こども工房第3形態。
この形態は、必然だった。
今になって思う。
こども工房第3形態とともに、
すべきことは、
高齢の親たちが教えてくれる。
娘の代わりはいない。
イノシシから、やっと、変化が遂げられるか。
な?
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