雨が降り続く中、スマホを見る。
インスタで流れるアメリカの子どもたちの制作風景に、
20年前のボストンでのワークショップを思い出す。
わが娘たちの学資保険を担保に、
多額の借金をして、
わが家族と教室の子たちを連れて、
アメリカに渡った。
四女が小学校入学する前の春休みのこと。
お金のことなんて、どうでもよかった。
とにかく子どもたちに、ただただ外の世界を見せたかった。
異文化に触れることで、
自分の世界を広げてみてくれたらいいな、と。
特に、大病の末に、カラダに大きな後遺症を残した長女の存在が大きかった。
自分に自信を持ってほしい。
それが全ての原点だった。
ムスメたちのために、今関わっている子どもたちのために、何ができる。
ワタシにとっても、初海外。
無謀といえば、無謀な冒険だったなぁ。
当時、オットは、わが教室で、
和太鼓や国語の教室をしていて、
日本の教育に、目が向いていた頃。
仕事の関係で、ヨーロッパに行くこともあり、
ムスメたちに、外の世界を見せたがっていた。
オットは、こういう時に、
意外なほどの強力な引き寄せ力を発揮する。
ボストンやブルックリンのこども博物館の人たちとつながり、
あれよあれよと、アメリカでのイベントに参加することとなる。
日本の伝統文化を紹介するために、
子どもたちは、にわかにお茶や英語を習い、
和太鼓演奏はもちろん、お茶のお点前までしてしまう。
ワタシは、墨絵のワークショップをさせてもらった。
挙句の果てに、
公立小学校ともつながり、
授業に参加し、給食も一緒に食べて、交流を果たしてしまう。
京都のちっぽけな教室が、大きな組織とつながり、
異文化交流。
日本の小学校では、さまざまな手続きをふみ、
たくさんの書類を用意し、
実現までにかなりの時間を要するだろう。
そういうのを、
公的な支援があるかないかも調べず、
ひょいひょいひょい、と、
自力でやってしまう小さな寺子屋のような教室。
オットならではのやり方だった。
当時は、SNSも、スマホもない時代。
情報を聞いた記者が、渡米前に、取材してくれた。
帰国後、誰に発信するでもなく、
実績を公に発表するわけでもなく、
子どもたちの成長に、何かを残せたら、それだけでよかった。
そんなことを、
流れる異国の子どもたちの姿を見ながら、
思い出していた。
また、行きたいな。
今度は、孫たちを、連れて行けたらいいな。
とにかく、借金せずに動けるよう、
がんばらねば。
墨絵繋がりで思い出すのが、
密かに家に飾っている今年の描き初め。
毎年変わっているのだが、
家に馴染みすぎて、
変わっていることに気づく人が少ない、、、
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