イタリアふたり旅〜アシスタントとしての同行

4月2日、私たち夫婦は、イタリアへ出発した。

11日の帰国までの9日間の旅である。

 

3月5日にワタシも行くと決めた日から、

鬼のようなスケジュールをこなし、

前日の夜ぎりぎりに、スーツケースに荷物を詰め込み、

2日には、ふたりで無事に飛行機に乗ることができた。

そこから、今まで経験したことのない旅が始まったのである。

 

今回の渡欧は、オットの単独の仕事の同行という立場で、

これは、初めての体験。

飛行機から、向こうでの移動の電車、ホテルの手配は、

全て、ワタシがやったため、一つ一つが緊張の連続だった。

毎回そうなのだが、仕事が絡んでいるとなると、

手配ができていないなんてことになったら、一大事では、という気持ちで、

なんか、一人、責任を感じ、ピリピリしていた。

一方、オットも、英語でのスピーチもあり、ソワソワピリピリ。

二人で、落ち着かない旅となっていた。

 

まぁ、そうはいっても、

旅は旅。

オットは、5年ぶりの大好きな機内食にテンションが上がっていた。

ビールもワインももらって、大喜びだった。

前回、ムスメと使ったのは、フィンエアーだったが、

今回は、KLMオランダ航空。

ここは、よく使うので、私たち的には、安定の航空会社である。

 

2日の夜中にローマに予定通り着いたので、

空港近くのホテルに泊まった。

機内食で満たされていたお腹だったので、

持参していた缶チューハイで、乾杯したあと、

明日に備えて、早く就寝した。

 

次の日の朝、フィレンツェへ移動。

今回、唯一の電車の乗り換えがある行程である。

まず、ホテル近くの駅から、日本で言うJRのトレニタリアに乗って、

途中で、高速列車のフェラーリと言われるイタロ(italo)に乗り換える。

この乗り換えが大変で、

前回のムスメとのドイツの旅での記憶がまだ新しいのだが、

いつもながら、ドキドキする。

海外の駅は広く、乗り換えにも、何本も向こう側まで移動を要することが多々ある。

それに、電車の遅れもよくあるので、事前に取っておいたチケットの乗り換え先の電車に間に合うか否か、ということで、

電車の中では、始終時計を気にしていた。

乗り換えの駅に着いたら、乗り換える電車が、何番ホームから出るか確認。

そのホームまでの移動がスムーズにいけるかも、問題。

階段を使うしかない場合もあったりで、

大きなスーツケースを持っていると、もう、命懸けの移動となる。

今回は、難なくいけた。

イタロに乗り込むと、今度は、スーツケースの置き場に困った。

ほぼ満員の電車は、観光客だらけで、それぞれ荷物も多い。

大きなスーツケース専用の置き場は、いっぱいで、

頭上の棚も、いっぱい。

私たちは、置き場に困り、焦っていると、

前の席の人が、自分の荷物を寄せてスペースを開けてくれた。

その人がオットと一緒に、ワタシの重いスーツケースを持ち上げ、棚に乗せてくれた。

優しい心遣いが、言葉が通じない国では身に沁みる。

ワタシよりオットのスーツケースは大きく、棚にも乗らないので、

オットは車両を移動して、置き場を見つけに行った。

なんとかスペースを見つけ置けたようだが、

自分たちの席からは離れているので、

用意しておいた自転車のワイヤー錠で、

持っていかれないように繋いでおいた。

 

そして、無事フィレンツェへ。

今回のオットの仕事の舞台である。

招待されたホテルへ、

グーグル先生が、「ほぼ平坦、徒歩11分」と示していたので、徒歩で移動。

しかし、だ。

ワタシはすっかり忘れていた。

石畳のことを。

スーツケースの移動は、困難を極める。

真っ直ぐ進まず、持ち上げつつのよぼよぼ移動。

汗は吹き出し、30分以上かけて、

やっと辿り着いた。

 

チェックインより早く着いたけれど、

ご招待だったので、部屋に入ることができた。

研修か何かで学生も使うホテルだった。

公的な施設もあるようだったので、安心感のあるホテルだ。

 

重い荷物から解放されたのも束の間、

午後から、オットの仕事関係の人たちとの面談があり、

着替えて、昼ごはんを食べる時間もなく移動。

 

ワタシたちは、朝から日本から持ってきたせんべい1枚を食べたのみで、持ち堪えていた。

 

英語もろくにできない私たちは、イタリア在住の知人の娘ちゃんに通訳をしてもらうために来てもらって、面談した。

その娘ちゃんは、こういう通訳は初めてで、しかも、仕事の会話ということを、

仲介された方から聞いていなかったようで、

緊張している中、パニック状態。

言葉が出てこず、しどろもどろ。

でも、なんとか、後半は落ち着き、たどたどしくも通訳をしてくれた。

四女と同じぐらい歳の彼女の緊張が手に取るようにわかり、

ワタシも同じように、手に汗を握る時間だった。

 

日本人の関係者もいると聞いて、オットの横で顔繋ぎ程度と聞かされていた彼女は、

現場では、日本人関係者もいず、英語で仕事のことを喋り続ける方と英語がちんぷんかんぷんの夫婦の間に入るという、とんでもない状況の中、がんばってくれた。

面談が終わり、ドーモの周辺でお茶でも、と、場所を探すけれど、適当なカフェがなかなかない。

やっと見つけたところで、コーヒーで、おつかれさまタイム。

聞いてないよ〜、の知人親子とともに、私たちもど緊張の時間が終わり、

一同、ホッ。

 

しばらく話をした後、ホテルに戻り、

今度は、夕方から、ウエルカムカクテルタイムがあり、

ホテルの最上階の会場へ。

各国からのお客さまで賑わっており、

今回の主催者側の市場の方が、

「OH~,AKIRA~」と、ハグのご挨拶。

久しぶりのご対面だった。

入れ替わり立ち替わり、いろんな人が挨拶にやってきたが、

英語が、、、のオットと、会話は成立せず、、、

オットが楽しみにしていたサッカー観戦のチケットの手配をしてくれていた担当者とのコミュニケーションも、???が飛び交っていたが、

なんとか、持ってきてくれたので、

美味しそうなご馳走を横目に見つつ、

早々に、その会場を引き揚げ、サッカースタジアムに向かった。

 

その日はなんと、フィレンツェのチームの試合で、リーグの決勝戦という大事な日だった。

バスは、最高に混んでいて、ビールを飲みながら騒ぐ若い衆に怯えた。

やっと着いて、席に向かうと、最高にいい席をとっておいてくれていたのだった。

盛り上がるサポーターたち。

フィレンツェのチームのカラーは紫なので、京都のサンガと一緒じゃん、と、親近感をおぼえつつ、楽しく観戦できた。

帰りは、また行きよりも興奮状態のサポーターたちで、バスはカオスになると思ったので、

最後まで観ずに、早めに出た。

 

寒い中、やっとバスが来た〜、と思ったら、通り過ぎて行った。

そう、ここでは、乗りたい!と、手を上げなくてはいけないことを忘れていた。

サポーターたちが押し寄せるのではないかと、ヒヤヒヤしつつ、20分ほど待って、やっと来たバスに無事乗れた。

ホテルの部屋に戻った後、ポテチと缶ビールで乾杯〜

興奮と緊張の中、イタリア入りしてから、ちゃんと食べていないけれど、

分刻みのスケジュールをこなすことに集中していた。

 

そうして、フィレンツェの初日が終わった。

 

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