「疲れた〜」と、連呼しながらやって来る子どもたち。
我が教室に来る小学生たちは、すごく疲れている。
「学校で、いろいろやったし、疲れてるんや」と言う。
なので、「今日は、これをするよ〜」と、
一応決めているテーマを提示すると、
必ずのように、
「え〜、いやや〜」と言う。
ほとんどの子が。
教室の開設当初、
毎回、テーマを提示し、
それに沿って、取り組むスタイルだった。
けれど、学校で、散々、決められたことをやってきている子どもたちは、
「作りたいものを作りたい」
「描きたいものを描きたい」
と言い、
そうさせてみると、
これが、とんでもなく面白かった。
独創的なアイデアいっぱいの作品を作るようになったのだ。
どんどんと、大人の想像を超えて、とてつもなく楽しいものができていく。
次第に、様々な素材をそろえておいて、
子どもたちの思うがままの創作活動の教室に変わっていった。
しかし、
10年も経つと、
時代は、どんどん変化し、
大人で携帯を持っている人は少なかった時代から、
子どもでもスマホを持っている時代に変わってきた。
もちろん、一家に一台のパソコンがあるかないかの時代は、
とうの昔になったような。
子どもたちを取り巻く環境は、
急激に変わった。
子どもたちは、変わらないはずだけど、
目にする刺激が、変わることによって、
きっと、使っている脳みそが、
ワタシの子ども時代とは違う部分が、
思いっきり使われているんじゃないかと思う。
なので、思考や、使う体の部分さえ、
昭和を生きてきた私たちとは違う。
そう、その違うが、顕著になってくるのが、
小学生の中学年。
少し前までは、高学年から、
子どもたちが、変わってきたな〜、と思っていたが、
最近は、早ければ、2年生あたりから、
様々な刺激を受けて、
言うことすることが、
いわゆる、いいも悪いも、今風になっているんだな、と感じることが多くなった。
「何も作りたくないし、描きたくない」
「家に早く帰って、ゲームがしたい」
「早く、YouTube見たい」
「友だちとゲームしてたいんや」
我が教室に来て、
家で言えないことを、吐き出す。
幼児の頃は、
作ったり描いたりが、
楽しくて仕方がなかったのが、
小学生になって、しばらくすると、
作ること自体が、めんどうくさいになっていく。
子どもを育んでいく遊びの一環だった、五感をフル稼働する工作から、
いつしか、画面上で作られる手の汚れない、痛くならない、疲れない架空の工作に、
子どもたちは、虜になっていく。
「これ知ってる?」と聞けば、
「テレビで見たことある」が、10年前とすれば、
「YouYubeで見たし」「このアプリで作ったし」が、最近である。
便利な時代なのは、
新しいモノ好きのワタシも、大歓迎なのだが、
子育てしている世代は、
便利すぎるゆえ、
意識しないと、
豊かな体験、経験が、極端に少ない子育てなる。
しかも、変わっていく教育が、
ワタシの子育て時代とは、
ワタシたち世代が理解できないレベルのようで、
すっごく大変だな〜、と思う。
時代の流れとともに、
思うままに創作をする教室で、
作られるものも変わってきた。
だんだんと、作られるものが小さくなり、
できるだけ、絵の具を使わない、ボンドを使わない、
手が汚れない工作へと変わってきたのだ。
簡単で、すぐできる。
箱を出して、セロテープでぺたぺた。マジックで、ちょっとだけ描く。
2時間ある時間内に、
そういう作品を、何個も作る。
100均の素材を、貼るだけ、入れるだけ、工作も。
何日もかけて、少しずつ、丁寧に作っていく工作が少なくなっていった。
とにかく、汚れない。
せっかくある素材を使わない。
そこで、一念発起して、いろんな素材に触れ、
経験を増やしてほしいと、
開設当初の、テーマを提示して、
取り組む方法に変えて1年半。
テーマを早くこなして、
あとは、ゆっくりしたい、という雰囲気になってきたのだ。
なんか、違う。
中には、早くこなして、
自由に何かをしたい、というところで、
思い浮かばない。
アイデアが出てこない。
では、と、ワタシが提示するものは、全て嫌だという。
大人が作るようなキレイなものじゃない。
子供っぽいのは、いや。
教室の全ての子がそうではない。
開設当初の子どもたちのように、
アイデアあふれる作品を作る子もいる。
コツコツ仕上げていく子もいる。
そう、明らかに二つに分かれていた。
タイプもあるだろうが、
影響を受けている環境の違いもあるだろう。
紙をハサミで切る。
絵の具を出して、色を塗る。
初めからうまくいかないことが多い。
手は、必ず汚れる。
道具を使いすぎて、痛くなることもある。
けれど、少しずつ、やっていくうちに、コツをつかんだり、
自分で作り上げた達成感を感じる。
道具を使うことも、慣れてくる。
そして、それは、必ず次につながる。
思いついた形を作るために、
一枚の紙から、
ハサミとボンドを使って、
作っていく。
この中に、
どれだけ、
人間として、
大事な経験が含まれているか。
でも、
工作や、絵画は、
面倒くさいの連続。
でも、楽しい。
これからを生きる子どもたちだからこそ、
それを、少しでも知っている人に、
なって欲しいと思う。
さまざまな知識を詰め込まれ、
あたかも、経験したかのように動くであろう人工知能を、
使える人間になるために。
なので、
我が教室は、
そんなこんなで、
アナログなことを、コツコツやり続ける教室。
時々、時代の流れも取り入れつつのデジタルなことも、やってるけれど
専門ではない。
やりたいときが、やりどき。
辞めたいときが、辞めどき。
ワタシは、開設当初から、そういうスタンス。
自分が、いつも、おもしろがって、ワクワクすることをしたい。
そうそう。
いろいろ経験するのは、いいことである。
今や、経験を増やす教室や場所は、たくさんある。
一つをじっくりやっていくのもいいし、
やってみたいことを次々選んでいくのもいいと思う。
そういう時代だ。
そこで、大事なのが選ぶ力。かな。
何を基準に、何を大切に、と。
な〜んて、偉そうに何を言ってるのワタシは、
これからの人生、何を選ぶのか。
人間ができる、楽しいことをいっぱいやりたいね〜、と
生まれたばかりの孫を見つつ、思うのである。
コメント
なんかぐっときた!
今の子どものおかれてる環境をズバッと書いてくれて、モヤモヤしてたものが、すっきりした!
そして、アトリエという存在は、ただ楽しいものと思ってたけど、それ以上に、五感をフルに使える良い経験なんだなーと新たな発見。
アナログを大事にしたいと思いつつ、先進的なものも否応なしに入り込んでくる。いつの時代もこの流れは変わらないだろうけど、親になってみてはじめて、どう折り合いをつけていくか考える!
私にとって、アトリエはそうした折り合いをつけるときの基準になっていきそう。この記事、いろんな人に読んでほしいね〜!