一番大切なことは目に見えない

台所で出汁をとり、

その出し殻で、佃煮を作ることに専念しているオットがいる。

 

使ったカツオの質のせいか、

出汁の色が良くないと、

嘆きつつ、

佃煮の味付けが、まだ薄い、と、

何度も調整しつつ、

ただいま、夜の9時。

 

オットの仕事は、料理人ではないけれど、

興味があることは、

とにかくやってみるタイプ。

 

先日、

テレビで、女優が言った言葉がある。

「紙幣は、経験に変えたい」と。

納得の一言であった。

オットは、昨年から1年間、

辻調理師専門学校の通信教育で、

日本料理を学んでいた。

コツコツ練習する姿に、

自分ではできなことだと、

すごいな〜、ばかり言っていた。

 

 

ワタシが運営している教室の前身は、

夫婦で、オットが目指す教育を形にした、

私設学童のような体験教室だった。

料理をしたり、実験をしたり、

キャンプをしたり。

本当に、今では、驚くほどいろんなことをした。

ほとんど実費のような参加費で、運営していたので、

私たちの自腹も、バンバンきっていた。

利益追求なんていう言葉なんて、微塵もなかった。

家族とともに、

教室の子たちと、ボストン、ニューヨークに連れて行った時には、

1円でも欲しい、4人の子育て真っ盛りの当時の私たち夫婦にとっては、

かなりの覚悟。

でも、この時期のこの経験は、

きっと、何物にも耐えがたい経験になるかも、という強い思いを持ったオットの思いに

押され、

計算が苦手なワタシが、

感覚だけを頼りに、あれこれ調べまくって、

お金の工面をし、私たちにとっては大きな借金をしながらも、

家族全員で渡米した。

 

オットは言う。

経験のためなら、金額の上限は問わないと。

いやいや。

上限は問うでしょ。

と言いながらも、

同じ方向を向いている夫婦なので、

あんまり深く考えない。

よって、

お金は、たまらないタイプ。

 

10年前、オットが背中を押してくれて、

初一人旅で、パリでホームステイをした。

それから、2年おきぐらいに、海外へ。

「すごいですね。余裕があるからいけるんですね」

と、よく、言われたものだ。

両親にさえも。

なぜ、2年おきかというと、カラクリがある。

自分で、費用をほぼ工面できないので、

オットの助けを少し借りつつ、

ネットで、できる限り格安航空券を見つけ、分割払いの24回払い。

ただそれだけ。

オットは、背中を押しつつも、

行きたければ、できる限り自分の力で行け、と言う。

収入の低いワタシは、

いつも、「足りないにゃ〜」なのだが、

でも、見るに見かねて、オットは、救いの手を差し伸べる。

まぁ、なんとかなるでしょ、と、のらりくらりとやってこれたのも、

そんなオットのおかげである。

 

 

四女が高校生の時に、

一緒にパリに連れて行った時が、

一番、金銭的にはきつかったかな。

でも。

彼女には、なぜか、直感的に、

体験させなければ、という鼻が効いたのだ。

ドーハ経由で、なんとかパリに行き、いろいろ見てまわった。

モンサンミッシェルにも行ってみたい、という彼女に、

う〜〜、お金がないから、行けないよ〜

とは、言いたくなかった。

それならば、分割の上に、分割を載っけりゃいい、

てな具合で、現地でツアーを予約し、行ってしまう。

 

はっきり言って、お金の計算は、極端に弱い。

教室の参加費をいただきつつ、

欠席された分は、翌月返金システムをとっているのだが、

この返金に、いつも手間取る。

あったま、悪いよな〜、と汗をかきつつ、

簡単な計算なのに、何度も計算する。

これで、よく、大学出たものだ。

と、自分でも思う。

収入に対して、

どれだけの経費に抑えるか、なんて考えたこともない。

教材屋さんで、「これはいるやな〜」「あれは子どもが使いたがるよな〜」と、

合計金額を見ずに、注文してしまう。

月に何度も行く100均に、材料を買いに行っても、

お構いなしに、バンバンかごに入れ、

レジでは、二つ分の山盛りのかごを置くのが定番だった。

どれだけ、材料を買っても、

足りないよりは、余るほうがいいと思うので、

とにかく、計算をせずに、即行動。

損は、かなりの頻度でしてきたかもしれない。

でも、なんとかなってきた。

というか、やはりオットがいたから、なんとかなったのだ。

教室を借りたい! と言えば、

それは必要だ、と、財政面でも援助をしてくれ、

一緒に動いてくれた。

 

ムスメたちが生まれた時から、

家を出ていくまで、

誕生日には、家族で、ささやかながら、

パーティーをしたものだ。

豪華なプレゼントはない。

どれもこれも、手作り。

ケーキは、ムスメたちの手作りで、

ある時は、ぺちゃんこ。ある時は、ポッキーが林のように立っていた。

見た目は、すごいが、

みんなで囲み、だんだん増えるロウソクをどう立てるか、大騒ぎ。

灯したローソクの明かりだけで、みんなで歌を歌い、

お祝いをした。

どんなケーキよりも、あのケーキたちに美味しさが勝るものはない。

プログラムをムスメたちが作り、進行も、ムスメたち。

必ず、演奏やら、劇が入る。

時には、ノリのいい音楽をかけて、みんなで踊りまくることもしたものだ。

それはそれは、質素なパーティーだったが、

楽しくて楽しくて。

大笑いの連続だった。

楽しかったな〜

 

 

孫ができ、

さまざまなお祝い事が次々にある。

孫ができれば、常に、

我が子には、娘しかいないので、

私たち夫婦は、母方の親になる。

その時ばかりは、妙に、日本のしきたりのようなものが出てくる。

ワタシたち家族がやってきた質素なパーティのようには、いかない。

 

結婚式にしても、しかり。

私たちの頃は、

仲人をたて、結納やらもあった。

そうそう、結婚式といえば、思い出す。

いろいろあってのいつも火の車だった我が実家で、

学力の問題もあり、

結局、大学は、夜間に通うことになったワタシは、

昼間はデパートで働いたり、

学童の指導員をしたりしながら、自分で買う服や本以外の収入は家に入れていた。

奨学金も、家族の生活費に回っていた。

自分の貯金ゼロ。というか、当時、お金のことは、全部母が仕切っていた。

だから、20歳を過ぎても、自分で通帳の作り方も知らなかった。

お金に無頓着なのは、この育ちのせいかもしれない。

オットとの出会いがあり、学生結婚を強行したけれど、

多額のお金が動く式は、両親が、ご祝儀とともに、

ワタシたちの知らないところで、なんとかやりくりしてくれていた。

結婚してからの、やりくりは、オット主導で、

通帳の作り方は、オットに教えてもらったほど。

なんとも、無知すぎる20代だった。

この頃は、とにかくバブルのすごい時代だった。

しかし、時代は変わっても、

生活の中で、伝統や、しきたりが、

お祝い事には、必ず、じゃ〜んと出てくる。

 

我が家には、大きなケースに入れられたひな人形がある。

狭い家に住み替え続けた私たちの部屋で、

かなりの場所をとっていた。

我が両親が、

初孫に、自分たちの気持ちを示したかったのが、

あの大きさだった。

今風の生活なのに、そういう行事ごとになると、

急に伝統がどうたらこうたらなるんだな。

でも、まぁ、それに沿いつつも、

ワタシは、ワタシの方式でお祝いしたい。

全力で気持ちを形であらわしたいな〜。

何ものにも変えられない形で。

 

 

ムスメたちには申し訳ないけど、

すご〜いと言えるお金もモノも、

ワタシは、何も残せないだろう。

けれど、

星の王子様の一節のように、

ものごとは、心で見なくてはよく見えない。

いちばんたいせつなことは、目に見えない。

である。

 

と、自分に都合よく、

言っておく。

 

 

 

笑顔がみたい。

笑顔にしたい。

笑顔でいたい。

そのために、

ワタシは、ずっと動いてきた。

 

これからも、動きたい。

 

けれど、これからは、

オットに迷惑かけないように。

心配かけないように、

動こうと思う。

できる限り、できれば、たぶん…

がんばろうっと。

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